放送大学、通信指導(記述式)返却

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放送大学

放送大学では学期の中頃に通信指導という課題を提出する必要があります。

この通信指導に合格しないと単位認定試験に進めません。

通信指導は主に選択肢から解答を選ぶものと記述するものがあります。

選択式の通信指導はwebから提出することができて結果もすぐ分かります。

記述式は郵送した後、添削されて返送されます。

5月中旬に郵送した記述式の通信指導が7月1日に返送されました。

今回、履修したのは中東の政治(’20)です。

課題は「放送授業で興味を持ったテーマを選び600字でまとめよ。」というものでした。

ワードプロセッサーを利用して字数をカウントしながら文章を作成しました。

字数600のところを語数をカウントしてしまい595語632字になってしまいました。

出題通り興味を持ったアフガニスタンをテーマにまとめました。

ところで、合格基準は曖昧でよく分かりません。

内容や出来はともかく提出すれば合格するという人もいます。

とりあえず、自分の意見や感想、教材にない情報を入れないでテキストを元に簡潔にまとめることにしました。

講師からのコメントは「よくまとめられています。今後も期待しています。」だったので及第点は取れたのかと思います。

放送大学の課題や試験問題の「~を論ぜよ。」タイプの問題は模範解答がないので書き方や内容に困りますが、今回のような書き方で統一していこうと考えています。

以下は提出した解答になります。

本課題では緩衝国としてのアフガニスタンを取り上げる。ナポレオン戦争後、ロシアとイギリスがユーラシア大陸全土での影響力を競ったことを「グレート・ゲーム」という。アフガニスタンは中央アジアに勢力を伸ばそうと南下するロシアとインドを支配しているイギリスの北方進出の間に挟まれる形となった。両国ともアフガニスタンを支配することに失敗し、アフガニスタンを緩衝国とした。両国の支配地が直接接しないよう19世紀末に現在のアフガニスタンの国境が設定された。第二次大戦後にはアメリカとソ連の緩衝国へと変わった。この関係はアフガニスタン国王による近代化によって崩れた。国王は軍隊を近代化するためにアメリカに援助を求めた。しかし、アメリカは隣国パキスタンがアフガニスタンの近代化を望まないという理由から申し出を拒否した。そのため、国王はソ連に援助を求めた。ソ連は軍事支援と人的交流をおこなった。この支援と人的交流の帰結として2度のクーデターが起きた後、アフガニスタンは共産主義国家になった。部族社会であり一枚岩になるのが難しいアフガニスタンでは、これに反対する反乱が各地で起こり、窮地に立たされた政府はソ連に軍事介入を求めた。そして、1979年12月末にソ連軍が介入しアフガニスタンは緩衝国ではなくなった。そのソ連軍も政権崩壊を食い止めることには成功したものの、アフガニスタンの混乱を収めることができなかった。その後、ゴルバチョフの新外交政策によりソ連軍は1989年に同国から撤退した。

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